9月22日、文化財連続講座「片町線周辺の軍事施設」に参加しました。

2019/09/22

文化財連続講座「片町線周辺の軍事施設」(大東市教育委員会 佐々木拓哉さん)を聞いてきました。
戦時期の片町線は沿線地域に多数の軍事施設・軍需工場が進出しており、大阪砲兵工廠や全国の主要都市・港湾を接続する「軍事鉄道」の役割を果たしていたというお話でした。

 

「禁野側線」は片町線津田駅から禁野火薬庫(砲兵第二方面本署禁野出張所)・陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所を、「香里側線」は片町線星田駅から宇治火薬製造所香里工場(香里製造所)を、「川西側線」は片町線三山木信号場(現JR下狛駅北側)禁野火薬庫大爆発後の代替地となった大阪陸軍兵器補給廠祝園支処(祝園弾薬庫)をつなぐ軍用側線で、片町線は城東貨物線を通じて大阪砲兵工廠や全国の主要都市と接続し、奈良線を通じて宇治火薬製造所とも接続する「軍事鉄道」と化し、沿線には多数の工員も集住していたとのことです。

片町線周辺の軍事施設・軍事工場としては、徳庵駅東側に田中車輌株式会社徳庵工場(現近畿車輌株式会社)、盾津村(現東大阪市)には盾津飛行場と大阪練兵場、鴻池新田・住道駅南側一帯には松下飛行機、四条村(現大東市)には松下無線四条工場などがあったとのことです。

軍事施設・軍用側線は撤去され今は違う姿となっています。枚方製造所は戦後、小松製作所に払い下げられ、香里製造所跡、禁野火薬庫跡は、払い下げ反対運動により住宅団地に。戦争遺跡・遺物について、枚方市は、平和ロードや妙見山の煙突等、平和のモニュメントとして保存・活用に努め、「ひらかた平和マップ」というガイドブックも作成し、平和の大切さを訴える啓発につないでいますが、そのように取り組まれていない戦争遺跡・遺物も少なくないとのことでした。例えば、飯盛山には国旗掲揚台も残っているけれども、保存に向けた取り組みも必要であると思うと話されていました。
戦争の悲惨さと平和の大切さをしっかりと次の世代にも伝えていく取り組みを続けていかなければならないと改めて感じています。

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