「原爆も、原発も、放射能はいのちを蝕む~ノーモアヒバクシャ 枚方の集い~」&被爆79周年「原爆パネル展」を開催。原水禁枚方地区実行委員会の取り組みです。

2024/07/20

枚方市議会議員の奥野みかです。

原水禁枚方地区実行委員会として、7月20日、「原爆も原発も、放射能はいのちを蝕む ~ノーモアヒバクシャ 枚方の集い~」を枚方市総合文化芸術センター別館(旧メセナ枚方会館)で開催しました。講演会の開催ははじめての試みです。被爆79周年「原爆パネル展」も同時開催。会場には100名を超える参加者が集まりました。

「原発はごめんだヒロシマ市民の会」代表の木原省治さんの「反核平和と反原発」の講演。そして、「『無知は罪、無口はもっと罪』という言葉がある。原発の本当の危険性を知ってしまった以上、それを皆さんにお伝えするのが自分の責任だと思っている。」と語る元福井地方裁判所裁判官の樋口英明さんの「私が原発を止めた理由 原発は地震に耐えられない」の講演が続きました。

「未来に同じような核被害者、ヒバクシャをつくらない」と木原省治さん。「原発の本質はシンプル。人が管理し続けないかぎり事故になるということ、人が管理できず事故が起きたときの被害の大きさは想像を絶するということ。」「原発は自国に向けられた核兵器。脱原発の最も強力な敵は先入観である。」「自ら考えて自分ができることを実行していただきたい。知ることよって初めて考えることができ、考えることによって初めて道を選択することができる。」と樋口英明さん。お二人の講演の後、会場からの質問にお答えいただたり、また、お二人での対談も行っていただいているうちに、準備されていた時間はあっという間に過ぎてしまいました。

最後のあいさつは、ストップ・ザ・もんじゅの池島芙紀子さんから、「過ちは二度と繰り返さない」ということを、改めて強く感じたとの訴えもありました。本日の学習会での気づきが、お一人お一人のそれぞれの前進、行動変容につながることを願っています。私も頑張ります。

 


【講演メモ】

◇反核平和と反原発
原発はごめんだヒロシマ市民の会 木原省治さん

・1949年、原爆投下の4年後に生まれる。両親も、姉2人もいずれも被爆者。父親は自分が4歳のときに急死。父の死にざま、母の生きざまを見て育ってきた被爆二世としての自分の使命。「大切なのは、二度と放射能で苦しむ人をつくらないこと」という先人の言葉。
・原発問題に関心を持ったキッカケ→1978年(第1回国連軍縮特別総会がニューヨーク国連本部で開催)、米国の市民運動者が「ヒロシマの日、ナガサキの日に原発に反対する行動(座り込み)を行っている」との言葉に大きな影響を受け、同年10月26日、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」を結成。
・原爆と原発、非暴力、女性主体を重視した活動。
・栗原貞子さんの「ヒロシマというとき(1972年)」(<ヒロシマ>というとき、<ああヒロシマ>とやさしくこたえてくれるだろうか~<ヒロシマ>といえば<ああ ヒロシマ>とやさしくかえってくるためには捨てた筈の武器を ほんとうに捨てねばならない)への思い。
・国が決めている「被爆者の定義」の問題。健康問題で、がん・白血病のみならず、放射能の影響による免疫障がい、疲れやすい(疲労体質)等、わかりにくい。アメリカと定義(入市期間等)の違い。(アメリカ→政府の責任において補償するのが本人及び家族のため重要)
・国家補償/過去・現在・未来→「同じような核被害者をつくらないこと」三世、四世と続く被害はないのか。
・地方自治体の行政としてできること。例えば、東京都、神奈川県、摂津市等→「自治体の被爆二世対策」
・広島平和公園での平和公園の碑めぐりガイドは、現在、外国人4割、修学旅行生が4割、残り2割が一般。碑めぐりガイドを行う中、何か広島で感じ取りたいと思って来た方の期待に応える広島であればと思う。
・オッペンハイマー、リッチランド等、アメリカの世論が変わってきている。

・2023年のG7広島サミットの前と後で広島の運動の位置づけが変わっている(明確にわけて考えなければいけない)。一方で「広島ビジョン(G7、核抑止論を肯定)」を尊重し、他方で「核抑止論批判」という広島市長の矛盾したあり方ではいけない。
・広島市長の政治スタンス→「教育勅語」を市職員の研修に活用、「福島原発事故」直後は、原発への危険性を主張していたが、8月6日の「平和宣言」でも、福島原発事故にまったく触れなくなった(長崎市長はまだ触れている。)。
・広島の平和行政の変遷? 広島市に登録している平和公園ガイドは「原発問題には触れていけない」、平和教育教材から、はだしのゲン、第5福竜丸の記載が削除。平和式典への立ち入り制限。

・中国地方は原発問題のすべてが存在する。中国電力。(新設・増設・再稼働・廃炉・そして中間貯蔵施設)
「新設」→上関原発1・2号機、「増設(建設中原発)」→島根原発3号機、「再稼働」→島根原発2号機、「廃炉」→島根原発3号機、「中間貯蔵施設」→上関町
・上関原発反対運動の拠点と呼ばれる上関町、祝島の人から言われた言葉が私の原発反対運動を頑張らねばのパワーになっている。→「広島の人は、うちらが上関原発に反対する気持ちを一番も解ってもらっていると思う。だって原子爆弾で放射能の怖さを知っておられるから」

◇私が原発を止めた理由~原発は地震に耐えられない
元福井地方裁判所裁判長 樋口英明さん

・1952年生まれ、三重県出身。3.11後に初めて「原発運転差止め訴訟」、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止め訴訟で、2014年に再稼働を認めない判決を出した元福井地裁裁判長。2017年に裁判官退官後も、原発事故が人格権を広汎に奪うものとして、原発の危険性を訴え、全国を飛びまわっている。
・「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」→2014年5月21日、福井地方裁判所において樋口裁判長が言い渡された大飯原発運転差止め訴訟の判決要旨からの引用。

・福島原発事故を通して明らかになった原発の本質。原発の本質はめてシンプルで次の二つのことだけを理解してもらえばよいだけ。
(1)人が管理し続けないといけない/安全3原則:「止める」「冷やす」「閉じ込める」
(2)人が管理できなくなったときの事故の被害は想像を絶するほど大きい 。
・原発を止める世界共通の理由。核兵器も爆発を意図しないと爆発しない。しかし、原発は、停電や断水で暴れる。原発は人が管理し続けなければ暴走する。イタリアも台湾も止めた。日本だけが例外ではない。地震大国日本である。直ちに止めるべき。徐々に減らせばいいといっても、どこで地震が起こるかわかっているのか。日本の原発はそれなりに耐震性があり安心、という思い込み。

・能登半島地震(M7.6)では、石川県志賀町で最大震度7、北陸電力志賀原発(同町)で震度5強を記録。志賀原発では外部電源から電力を受ける変圧器が破損。原発の耐震性について「一般に考えられているよりはるかに低い」ことを指摘。「日本の原発の最大の弱点は耐震性だが、耐震性が高いと思い込んでしまっている。日本の原発はそれなりに安全だろうという先入観が脱原発を妨げる。」
・脱原発を妨げているのは「原発回帰にかじを切った岸田政権でも、電力会社でもない。私たちの(心の中にある)先入観」である。「原発の問題は難しい」という先入観を排し、「ふつうに考える」ことが重要。
・「福島原発事故を経験しているの だから、それなりの避難計画が立てられているだろう」という先入観、「原子力規制委員会の審査に合格しているのだから、少なくとも福島原発事故後に再稼働した原発はそれなりの安全性を備えているだろう」という先入観、「南海トラフ巨大地震は必ず到来するとされているのだから、原子力規制委員も慎重で厳格な審査をしているだろう」という先入観、「政府が推進しているのだから、原発は必要なのだろう」という先入観、「原発は難しい問題だから、素人には分からない」という先入観
・「地震大国日本では原発に高度の耐震性が求められる」との基本的な考え方を示したうえで、地震予測などには限界があると指摘。将来の地震動に関する電力会社などの説明に対しても、難しい専門用語に惑わされず、「そんなことはできるのかと、ふつうに素直に深く考えればいい」
・3.11後、原発運転を止めた裁判官は7人、動かしたのは20人以上。多くの国民が福島原発事故直後は 原発に厳しい態度を示していたが、現在では、時の経過とともに原発に甘くなってきている。本当の原発の怖さを知らずに他人事と思っている。

・樋口理論/原発を止めるべき理由は極めてシンプル。
①原発の過酷事故のもたらす被害は極めて甚大で、広範囲の人格権侵害をもたらす。②それ故に原発には高度の安全性が要求される。③地震大国日本において原発に高度の安全性が要求されるということは原発に高度の耐震性が要求されるということにほかならない。④しかし、わが国の原発の耐震性は極めて低く、それを正当化できる科学的根拠はない。⑤よって、原発の運転は許されない。

・南海トラフ地震は超巨大地震で、その被害の規模は、わが国始まって以来最大の人的物的被害となることが予想されている。しかし、四国電力は、南海トラフ地震が伊方原発を直撃しても伊方原発の敷地には181ガル(震度5弱相当)の揺れしか来ないと想定。原子力規制委員会も「南海トラフ地震が伊方原発を直撃したらどの程度の揺れが敷地を襲うのか」という普通なら誰でも抱く疑問を抱くことなく、南海トラフ地震181ガル問題について18秒で審理を終えた。「181ガルですむわけがない」という住民の主張に対して、広島高裁は「では何ガルの地震が来るのかを住民側で立証せよ」と。政府も、電力会社も、原子力規制委員会も、あろうことか裁判所までもが、国民を守るという責任を放棄してしまっているのではないか。

・「①福島原発事故によって東日本壊滅の危機にあったこと、②その危機を神の配剤ともいうべき幾多の奇跡によって免れたこと、③原発が停電するだけで大事故になること、④福島原発事故後も配電関 係を含む耐震性は極めて低いままであること、⑤電力会社が『この原発敷地に限っては強い地震は来ませんから安心して下さい』と主張していること、⑥特に、『南海トラフ巨大地震が伊方原発を直撃しても伊方原発の敷地には181ガル(震度5弱)しか到来しない』と四国電力が主張していることを知ったならば、伊方原発の運転に賛成する人は一人もいないはずだ。これらの問題を知らされている裁判官と知らされていない国民とを一緒にしないでほしい。」

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