佐保会の通信に投稿しました。~第2ステージに向けて~
奈良女子大学の同窓会通信「佐保会大阪支部たより」に投稿しました。
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(本文)
定年での退職まではあと六年余りあったが、2018年8月31日、30年5か月の間、勤務した枚方市役所を退職した。
ワーク・ライフ・バランス…、なかなか難しい。悔しい思いをしたことも、くじけそうになったことも少なくなかったけれども、まわりの人たちやさまざまな制度・施策に支えられて何とか切り抜け、三人の子どもを育てながらここまで働き続けてきた。
最後は教育委員会社会教育課長。現代的課題を踏まえ、人が地域で生きていくために必要な基礎的な知識や技術を学ぶ機会を提供する社会教育活動の推進。差別や貧困により奪われた文字を取り戻す識字の取り組みから、今は外国にルーツを持つ市民の学びの場にもなっている日本語・多文化共生教室「よみかき」の運営。次代を担う子どもたちの豊かな放課後環境の整備をめざし、学校教育外の活動や居場所を模索する児童の放課後対策事業等々。仕事のやりがいはあった。与えられたポジションではあるが、行政としてのミッションに対して、なすべきことをなす。「できない理由を考えるのなら、できる方法を考えよう」、「目の前の課題に対して、その先を見据え、いま、できる一歩前進を」、そんな意識で取り組んできた。
いま、枚方市役所での30年間の勤務を振り返ってみる。
1988年入職。男女雇用機会均等法は施行されたものの、まだまだ雇用・配置等における女性の処遇には課題があるなか、公務職場においては、少なくともスタートラインに性差はない、結婚・出産を選択しても働き続けている女性も多い、そんな先輩職員の助言もあり、市役所への勤務を選択した。とはいえ、職場では、入職後すぐにお茶くみ問題等々にぶち当たる。その後、固定的性別役割分担の解消、ジェンダーフリー、セクシャルハラスメント、男女共同参画社会等々、課題として問題提起できる「ことば」に助けられてきた。いまなお、ガラスの天井は残存し、女性管理職の割合は低迷しているけれども…。
入職して最初に配属された自治活動課では、コミュニティ組織の再構築をめざす地域活動の支援、都市間交流、憲法・人権・平和施策等を担当。多くの市民とともに「平和の船」事業で広島を訪れる取り組みも実施した。
同和対策室では、部落差別をはじめとするあらゆる差別を許さず、多様な生きざまを尊重し、人として生きる権利を守るための啓発事業に取り組んできた。差別をなくす取り組みにおいては、中立の立場や傍観者の立場はない、そんな思いを強くした。障害福祉室では、知的障がい者のケースワーカーとして相談支援に従事。ここでは大学で学んだ発達心理学の知識も役に立った。障害の受容、社会意識との葛藤等々、子を持つ親の思いに寄り添い、必要な制度や支援につなげられるよう取り組んできた。社会的包摂の重要性を実感する職場であった。
保健事業や母子保健事業等、多くの専門職が働く保健センターでは、事務職として、庶務・財務事務を担当した。介護保険制度導入後に配属された高齢社会室では、高齢者のさまざまな相談支援や介護予防マネジメントを行う地域包括支援センターの設置やハイリスク高齢者に対する介護予防事業構築のほか、認知症になっても住み慣れたまちで暮らしていけるよう認知症サポーターキャラバンの取り組み等を推進してきた。健康総務課では、健康・福祉・医療をつなぐ取り組みの必要性を実感。
監査委員事務局では、市の事務事業や財務の監査を通じて、持続可能な行財政運営や内部統制・コンプライアンスの重要性を再認識。子ども青少年課では、ひとり親家庭等自立促進計画の策定にあたり、点から面へ、包括的な支援体制の実現に向けて、ワンストップの総合相談窓口の構築をめざす。子どもの貧困が社会問題として認識されるなか、子どもたちの居場所づくり構築にむけたアプローチも。ひきこもり等子ども・若者相談支援センターでは、相談につながった若者の次のステップとしての居場所、活躍の場を模索。必要な人に必要な施策を届けるための地域での掘り起こし、支援者のネットワークのさらなる強化が大切だと感じた。
市役所の仕事は多岐にわたるが、それぞれ、やりがいはあり、全力を尽くしてきたと思っている。しかし、どこか、不完全燃焼の思いが残っていた。退職して地域に戻ったら、奥野美佳個人として、地域で継続した活動をしていこう、そう思っていた。
そんななか、今年の春から夏にかけ、思いがけずたくさんの方々から政治の場での活動のお誘いとあと押しをいただいた。不安も戸惑いもあったが、私自身が新しい役割を担わなければならないとの思いが強まり、次のステージに向かう決意をした。これまで培ってきた行政の知識や経験、そして、働きながら子どもを育ててきた経験を生かし、生まれ育ったまち「枚方」のため、新しいチャレンジに取り組み、多様な一人ひとりとつながり、声になっていないSOSも含め、その声の「今」を受け止め、つなぎ、形にしていきたいと考えている。
私たちが日常で経験すること、個人的なことは、常に政治的であり、社会的なことである。個人的、私事に見えることに、実は社会全体の力関係や社会の制度が集約されて表れている。「パーソナル・イズ・ポリティカル」。1960年代のフェミニズム運動の中で盛んに使われたことばであるが、政治は、決して日常の生活や、働く現場から遠いところにあるわけではない。自分ひとりではどうしようもできない困りごと、それもこれまでにない新しい複雑な困りごとに際して、寄り添い、力になれる公的な仕組みや施策をつくりたい。そんな志を持って、しなやかに前へ前へと進んでいきたいと考えている。
未来を見据え、すべての人が、一人ひとりの「今」を輝いて生きていける社会をめざしたい。子どもから高齢者まで、誰も排除せず、多様な主体のありのままを尊重し、受容し、さまざまな違いを認め合い、お互いさまで支え合い、ともすればこぼれ落ちてしまう人たちを支援につなぐセーフティネットの強化を含めた社会的包摂を推進する。直接的な対話を大切にしながら、多様な一人ひとりとつながり、その声の「今」を受け止め、目の前にある課題に全力で取り組み、解決への道筋を、一つでも多く具体化していきたい。
奥野みか、第2ステージに向けて、いま、歩みを進めている。