大阪にあったハンセン病療養所「外島保養院」をご存知ですか~ 11月16日、ラポールひらかたで開催されたパネル展に行ってきました。

2019/11/16

11月16日、第9回ひらかた社協ふくしフェスティバル内、大阪にあったハンセン病療養所「外島保養院」のパネル展&DVD上映に行ってきました。

神崎川河口の海抜ゼロメートル地帯、現在の大阪市西淀川区中島2丁目付近に、近畿や北陸など2府10県のハンセン病患者の収容を目的に、公立ハンセン病療養所(定員300人)として1909年に開設された外島保養所。
1000人を収容する施設拡張工事がほぼ完成する1934年9月21日、室戸台風による高潮の被害でで施設は壊滅・流失、一瞬にして入所者の約3割に当たる173人に、職員や工事関係者を加えた計196人の命が奪われ、生存者は他の療養所へ移り住むことに。
その後、大阪府内での再建は候補地の激しい反対運動で実現せず、1938年、岡山県邑久郡邑久町の長島に、公立療養所光明園として再興され、1941年、国に移管されて国立療養所邑久光明園となり現在に至っているとのことです。

 ➣ハンセン病問題を理解するために (ハンセン病回復者の被害と名誉の回復を目指して)
(※クリックすると大阪府のHPにつながります。)

あなたはハンセン病を知っていますか(枚方市)
(※クリックするとPDFが開きます。)

 

1996年に「らい予防法」が廃止され、89年間にわたるハンセン病隔離政策に幕がおろされ、裁判等の闘いを経て2001年にはハンセン病補償法が、2009年にはハンセン病問題基本法が施行され、去る11月15日にはハンセン病家族補償法、名誉回復のための改正ハンセン病問題基本法が成立しました。
国が謝罪をし、国や地方自治体の責務も明らかになったなか、私たちの意識の中の差別と偏見をなくすことが何よりも切実に求められているのではないでしょうか。

不勉強ゆえ、「外島保養院」のことを学んだのは初めてでした。大阪にもハンセン病療養所があったこと、ともに暮らしている人たちを病気を理由に地域から排除・差別した歴史を風化させないために、そして、同じ過ちを二度と繰り返さないために、しっかりと事実に学んでいかなければならないと思いました。

 

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