被爆74周年原水爆禁止世界大会広島大会に枚方地区から参加しました。

2019/08/08

原水禁枚方地区実行委員会として8月4日から広島へ。
団長は野村いくよ市議会議員。今回の参加者は17名。

枚方市原爆被爆者二世の会の皆さんからお預かりした折り鶴を原爆の子の像(千羽鶴の塔)の折り鶴ブースに奉納した後、平和公園原爆資料館前から県立総合体育館までの「折り鶴平和行進」、そして「被爆74周年原水爆禁止世界大会広島大会開会総会」に参加しました。



開会総会の参加者は約1900人。
被爆者の訴え、高校生平和大使の挨拶、福島からの報告、大会の基調提案などがありました。

核も戦争もない平和な21世紀に!

8月5日は、分科会「脱原子力~福島の現実と課題」に参加の後、2019年春、リニューアルされた広島平和記念資料館に行ってきました。

「あの日、キノコ雲の下で何が起きていたのか」

戦争は私たちの日常生活を奪い、その未来を奪ってしまう。投下された原爆により奪われたいのちとその後の人生。あの日、あの場所に残された実物の展示から、一人ひとりの無念や悔しさ、声なき声や家族の悲しみがひしひしと伝わってくる。どうして…。なぜ…。そんな思いを二度と味わいたくない、誰にも味わってほしくない。



被爆の実相を伝えるため、当時の写真や遺品を寄贈してくださった方々に感謝しながら、その前で目を閉じて手を合わさずにはおられない、そんな一人ひとりの物語を感じさせるような展示になっているように思いました。外国人被爆者の被害を伝える展示もありました。

被爆者の願いは、核兵器の悲惨さを世界に伝え、次の世代につなぎ、核も戦争もない平和な社会を実現すること。いま、私たちは何ができるのか、何をしなければいけないのか。核兵器廃絶に向けた活動に取り組んでいかなければいけないとの思いを強くしました。

資料館では、企画展「市民が描いた原爆の絵~記憶と向き合う」も開催されていました。被爆者の方々が描き記した貴重な記録です。

広島平和記念資料館の詳細はこちらから。
➣広島平和記念資料館

 

また、少し足を延ばして、広島市役所前の「旧庁舎資料展示室」にも行ってきました。


8月6日。広島への原爆投下から74年。広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)に参列。
参列者は約5万人との報道。途中からはあいにくの雨でした。

米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約が8月2日に失効。核兵器をめぐっては、2017年7月7日、国連総会において核兵器禁止条約が採択されましたが、批准国が24で、発効に必要な50に満たないという状況のもとで、日本政府は背を向けたまま。「平和宣言」で松井一実広島市長は、「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。」と求めたけれども、参列した安倍晋三首相は昨年同様、あいさつの中で条例に言及せず。

広島・長崎、そして福島と続く核被害にどう向き合っていくのか。来年は被爆75年。私たちは、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現、脱原発社会の実現に向けての取り組みをしっかりと進めていかなければならないと思います。

 

14年前、2005年の被爆60周年原水爆禁止世界大会広島大会。
中村哲之助前大阪府議会議員を団長とする派遣団に、子ども3人とともに家族5人で参加しました。

伝え、つなぐ。
我が家の子どもたちはまもなくみな成人となりますが、次の世代にも、原爆の悲惨さと平和の大切さをくり返しくり返し伝えていかなければならないと思っています。

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