9月21日は「国際平和デー」です。非核平和都市宣言のまち「枚方」から世界の恒久平和を祈りましょう。

2019/09/21

9月21日は「国際平和デー」です。
国連は、2002年に毎年9月21日を「国際平和デー」に制定し、世界の停戦と非暴力の日として、すべての国と人々に、この日一日は敵対行為を停止するよう働きかけています。
正午には平和の鐘カリヨン(ヒラリヨン)が鐘を鳴らします。鐘の音とともに世界の恒久平和を祈りましょう。

 

 

平和の鐘カリヨン(愛称「ヒラリヨン」)は、21世紀の平和のシンボルとして、1997(平成9)年、市制50周年を記念して岡東中央公園に建設されました。カリヨンとは、調律された鐘を複数組み合わせてメロディーを演奏する組み鐘のことで、市民公募により決定された愛称「ヒラリヨン」は、枚方とカリヨンの合成語。ヒラリヨンからは1日10回定時にメロディーが流れています。
このイラストは私の友人に描いていただきました。

 


 

枚方市は、1982(昭和57)年12月21日、大阪府内で初めて「非核平和都市」を宣言しています。

全世界の平和と安全は、全人類共通の念願であり、よりよい生活を築き、守り、維持していくための基本理念であります。
しかるに、それらの念願、理念に反して、究極戦争の道具である核兵器は、依然として拡充、拡散され、人類の生存に深刻な脅威を与えています。
私たちは、原子爆弾投下による被爆の体験を通して、平和を希求する誇り得る憲法を持ち、戦争の放棄を誓っています。
地球上から戦争と核兵器をなくすことは、日本国民の責務であります。平和を求め、核兵器廃絶を叫ぶ大衆の声は、ここ数年、時を追って大きくなってきています。
枚方市は、平和を愛する人達の住む町として核兵器の廃絶、製造設備および手段の廃棄を訴えて、ここに非核平和都市となることを宣言します。

全国で非核宣言を行っているのは1,647自治体(2019年5月22日現在、日本非核宣言自治体協議会による)。
1984年に広島県府中町で設立された日本非核宣言自治体協議会には、枚方市も含め、341自治体(2019年5月22日現在)が加入しているとのことです。

枚方市は、住民一人ひとりの生命とくらしを守り、現在及び将来の国民のために、これからも核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて積極的に取り組みを進めていく自治体であり続けなければならないと考えています。

 


 

戦前、枚方市には旧陸軍の禁野火薬庫、枚方製造所、香里製造所の3つの工廠がありました。

その一つ、旧陸軍禁野火薬庫が大爆発を起こしたのは、1939(昭和14)年3月1日。天地を揺るがす爆発が約4時間、29回にわたって繰り返され、死傷者約700人、全半壊した家屋約821戸に及ぶ大惨事となりました。
枚方市は、大爆発が発生した日から50年後、そして、1954(昭和29)年3月1日に第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカ軍が行った水爆実験に遭遇し、被爆した日から35年後の1989(平成元)年に、2つの大惨事を風化させず、市民一人ひとりが平和の大切さと平和への貢献について考える日として3月1日を「枚方市平和の日」に制定しました。

また、戦前には津田駅から禁野火薬庫と枚方製造所まで、軍用鉄道(現国道307号)が敷かれ、毎日大量の火薬や砲弾などが戦地に向けて積み出されていました。1991(平成3)年に、この軍用鉄道敷の一部であった中宮本町から中宮西之町までの約600メートルを「中宮平和ロード」として整備しました。ここでは、昔の鉄道敷をしのばせるSL形のトンネルや線路沿いに立てられていた軍用電柱等を保存・設置しています。

禁野火薬庫・枚方製造所ともに火薬を収蔵した倉庫は、爆発しても被害が拡大しないように、倉庫の屋根の高さまで達する堅牢な土塁で1棟ずつ囲まれていました。1945(昭和20)年の終戦により軍施設は閉鎖され、以後、周辺開発に伴い土塁や建物・施設等は取り除かれましたが、高陵小学校の南側には禁野火薬庫の土塁が、また、東側の校門付近や中宮第三団地内(写真)には枚方製造所の土塁が残り、戦争の生き証人となっています。

 

戦後、旧香里製造所は香里団地に生まれかわりましたが、計画外にあった煙突は撤去を免れ、水道局妙見山配水池の敷地内にそのまま残りました。この煙突は、宇治火薬製造所から運ばれてきた湿った火薬をスチーム熱で乾燥させるために建てられたものです。戦争につながる建造物を後世に残し平和のモニュメントにしようと、1984(昭和59)年、香里製造所の煙突を「平和を願う妙見山の煙突」として永久保存することにしました。

 

なお、2019(令和元)年、禁野火薬庫の爆発から80年目という節目にあたり、伝えなければならない記憶として、禁野火薬庫大爆発に遭遇した枚方町(当時)在住小野清彦氏の手記と、同氏が収集した爆発関係新聞記事及び市教委文化財課市史資料室が補足して収集した新聞記事を1冊にまとめた資料集『禁野火薬庫爆発遭難手記』が刊行されました。9月17日より販売されているとのことです。

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