11月5日、在日3世としてウトロに関わってこられた金秀煥さんの生き方を聞かせていただきました。一人称で語る講座「生きること」は今年で43年目になります。
11月5日、今年度の連続講座「生きること」の第3回は「在日3世としてウトロに関わって~そこから見えた人権と日本社会」をテーマに、南山城同胞生活相談センター代表の金秀煥(キムスファン)さんから、ご自身の生き方、在日外国人が直面するさまざまな問題などのお話を聞かせていただきました。
マイノリティとして社会に向き合っているのに、自分の中にあるマジョリティ性に気付くこともある。差別や不条理に向き合い、ほっておけないよね、とつながることが大切。情けは人のためならず。アッパ(父)は一生懸命生きたよ、と子どもたちに誇れる生き方をしたい。社会の閉塞感や差別を生む「分断と対立」というウイルスを、人類が培ってきた団結、思いやり、寛容、絆というワクチンでやっつけて、幸せと平和を実現していこう。ウトロの地で踏ん張るメッセージとともに、素敵な生き様を伝えていただきました。
連続講座「生きること」は昭和53年(1978年)から始まり、今年で43年目になります。これまで合計191回開講され、講師も200人を超えるとのことです(枚方市プレスリリース 10月1日)。
枚方市役所に在職中、同和対策室で1990年から1995年まで、社会教育課で2016年から2018年まで関わらせていただいた事業です。1990年に初めて担当させていただいたのが、宇治ウトロ住人の洪貞子さんで、「私とウトロとの出会い~生きていかなくては~」でした。先輩職員から、理念や理屈ではなく、「私」を主語に自らの生きざまを語っていただけるよう、恋文を書くように講師にアプローチを、と指導されました。
当時は、連続講座「生きることについて」でしたが、市役所職員としてもさまざまな学びをいただいた事業です。講演終了後に発行されている冊子「生きること」もたくさんストックしています。
さまざまなテーマで講師を招き、体験や生き方などの「自分史」を語ってもらうことで、参加者が人権について考える機会を提供するスタイルは変わらず続いているんですよね。枚方市の誇れる事業の一つだと思っています。
以下、今回のお話の中で心に残ったことを、メモ的ですが、掲載します。今年度中には今回のお話も冊子になると思いますので、その際に、改めて振り返りたいと思っています。
南山城同胞生活相談センター 代表の金秀煥(キム スファン)さんのお話より
・オモニのきょうだいは男女とも朝鮮学校。オボジのきょうだいは男子は日本の学校、女子は朝鮮学校。儒教の男尊女卑の影響もあったかもしれないが、日本で暮らすのに生計を立てる男子は日本の学校に行く方がよいと考えたとのこと。オモニ自身、「何も隠さなくていい、普通に過ごせる」との経験があったことから、オモニの強い思いもあり、きょうだい3人は、朝鮮学校に通った。
・16歳で外国人登録。特別永住資格であったが、当時は指紋押捺制度が残る。市役所の窓口も、裏から入って、裏で手続き。ハレモノに触るような対応にとても違和感を覚えた。2000年に外国人登録法による指紋押捺制度は全面廃止。現在は、外国人登録証明書から特別永住者証明書を所持。
・アイデンティティの葛藤。マジョリティの側は包摂しようとするが、実はマイノリティの文化を認めていない。「~でないといけない」はマジョリティの側の考えの押し付けで、いずれも暴力的である。「みんな一緒じゃない」「外国人である自分が好きになった」と思えるように。
・「ヘイトスピーチ」が流行語大賞になる(2013年)現状もある。2009年に起こった京都朝鮮学校襲撃事件では、主犯格4人が執行猶予付の有罪判決を受けたが、その後、そのうちの一人が枚方市議会議員選挙に2度も出馬し、約1,200票(2015年)、約900票(2019年)を得票している。今回、その枚方市での講演ということで、複雑な思いで来た。当選議員の最少得票数が2,400票程度なので、非常に怖い現実である。ヘイトスピーチの被害は、子どもたちにも及ぶ。日本人にもいい人がいる、そんな言葉は要らない。幼児教育・保育の無償化でも朝鮮学校は除外されているが、違法ではないという。ヘイトスピーチや差別や不条理が許されてしまう社会を問いたい。
・ウトロで感じる歴史問題。歴史の教訓は皆が幸せになるために生かすべきものである。ウトロに住む60世帯の住所はすべて「51番地」であった。在日朝鮮人が90%以上の集住地区。
戦時中に飛行場建設計画があった場所に労働者として集まった約1,300人の朝鮮人が放置され、戦後も引き続き居住していた土地が日産車体の前身の会社から民間企業に売り渡された。そして、不法占拠の扱いで土地の所有者が「出ていけ」と立ち退きを求めるという訴訟を起こし、民事裁判も起こされることになったたが、行政は対策を取らず。結果、2000年、最高裁でウトロ地区住民側の全面敗訴となり、退去命令を受けることに。
人権、居住権、歴史的背景など、問題はいろいろと残る。戦争は国家が引き起こしたものなので、すべて国の責任で解決すべき問題であると思う。爆撃目標とされていたのであろう、米軍が戦時中に写したウトロ周辺の航空写真もある。その後、運動により、寄附金や韓国政府からの支援金をもとに設置された財団が土地の約1/3を買い取った。その土地に、現在、宇治市が市営住宅を建設している。
・現在、ウトロに視察に来られるのは、年間約1,000人で、韓国から500人、日本人300人、在日朝鮮人200人。今年は新型コロナの影響もあり、受け入れは進んでいないが、いま少し戻ってきている。
韓国の大学教授と有名女優ソン・ヘギョが、韓国語と日本語のパンフレット「ウトロ地区の歴史問題」を作成し、寄贈してくれたので(2016年)、視察に来られる方に渡している。
・2014年の韓国セウォル号沈没事件では、「その場に待機を」という大人の言うこと(船内放送)を聞いたために亡くなった高校生犠牲者が多かった。その中で生き残った学生たちがウトロに来てくれた。生き残ったことを罪のように感じる心の傷に立ち向かうためにボランティア活動に従事し、生きる意味を見出そうとしている。傷ついた学生たちはコンテナハウスに「心はここにいる」と似顔絵を描き、ウトロに残してくれた。
・企業の人権啓発担当者の視察もある。企業も人権の問題に力を入れている。社会的責任としてのESG投資:従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資。
・自分さがしも含め、安田菜津紀さんや、大坂なおみ選手とともに世界に影響力のある100人に選ばれた伊藤詩織さんもウトロに来られた。
・ウトロ地区の生活保護受給率は20%(宇治市全体1%)で、年金受給率は8%(宇治市全体90%)である。制度的無年金者として放置されたまま。また、インフラ整備は、上水道と地下水あわせて47%の給水普及率で、下水道・都市ガスはなし、床下浸水は66.2%の発生率という現状。
・「被害者は笑うな」という社会の脅迫がある。マイノリティとして社会に向き合っているのに、自分の中にあるマジョリティ性に気付くことも大切。アッパ(父)は一生懸命生きたよ、と子どもたちに誇れる生き方をしたい。
①不条理と向き合うことの大事さ
②つながりの力、人間愛の素晴らしさ
③私の中にあるマジョリティ性
④情けは人のためならず
こんなことをアップデートしながら生きていきたい。ほっておけないとつながることが大切で、差別に対して、なくならないことに絶望するのではなく、差別と向き合うことが大切。ないがしろにしていないか、常に問う生き方を。情けは結局は自分のためになる。人のためのみならず。
・アイデンティティを変容させてしまう「帰化」という言葉には違和感がある。私は対外的には「ZAINICHI」という呼称を使っている。
・ウトロは悲しい歴史を乗り越え、まちづくりへとかっている。人権と平和を求め、「平和祈念館」の建設につながればと考えている。新型コロナウイルスのワクチンはまだまだ十分に開発されていないが、社会の閉塞感や差別を生む「分断と対立」というウイルスを、人類が培ってきた団結、思いやり、寛容、絆というワクチンでやっつけて、幸せと平和を実現していこう。市民一人ひとりが医者である。
▶ 公営住宅化進む在日コリアンの「原風景」 京都・ウトロ地区 居住権を 人々のうねり(毎日新聞 2020年5月15日)