教育と学習。子どもたちの学びを支える教育のありようとは何か。6月11日、「学校のこと パートⅡ」をテーマに、2回目の「みか’s cafe」を開催しました。

2023/06/11

枚方市議会議員の奥野みかです。

6月11日、2回目の「みか’s cafe」を開催しました。また、雨でした…。
雨の中、集まってくださった皆さん、ありがとうございました。

多様な皆さんがゆるやかに集まり、テーマを決めて対話する、みか’s cafe、第2回目のテーマも、第1回と同じテーマでの対話、「学校のこと_パートⅡ」でした。

前回はフリーで、教員の忙しさ、子どもたちの余裕のなさ等のお話にもなりましたが、今回は、「教育」と「学習」について、進行役から最初に話題提供をしていただきました。それは、いま、社会・文化の状況に大きな影響を与えるているチャットGPT(生成AI)をどう受け止めていくかということへの問いかけでもありました。

「教育」と「学習」

「教育」は第三者が与える影響。「学習」は自分の中に芽生え、自らやるもの。「学習」意欲に支えられないと「教育」は空振りしてしまう等、両者には密接な関係があるが、別のもの。「教育」は社会の装置、仕組みでもある。公教育(小・中学校)は、国が仕組みとして整えているもの。
いま、チャットGPTが、社会・文化の状況に大きな影響を与え始めている。対話的に聞くと答えてくれる生成AIは、機械学習を経て、ディープーニングを超えるもの。
そのような中で、私たちは「教育」で子どもたちに何を与えていくのか、どのように人を育てていくのか。いま、まさに時代の曲がり角、ターニングポイントにあるのではないか。
とても多くの人々が「教育」に関わっている。制度(国、自治体)、現場教員、保護者、そして、子どもたち。
複雑な連立方程式なので、これが絶対に正しいということはわからないが、どういうところを考えて、どう取り組んでいたらいいかをともに考えていきたい。

 

皆さんから出てきたご意見等について

・小中学校、1人1台タブレット。枚方は、wi-fiがなくても自由に使えるモデルで、通信回線の保障が一歩進んでいる。子どもたちは、プレゼンテーションを学んだり、さまざまな操作性を学んでいる。使えることはいいことだけど、タブレット操作教育に収れんしてしまわないか、落とし穴はないか。
・学校のタブレットはアンタッチャブル。宿題もタブレット。先生からの連絡もタブレット。取り上げられない。ICTは便利で使うが、リテラシーがついていっているのだろうか、果たして、どうなのかなと懸念される。
・生活状況もタブレットで報告。今日の気分は?「心の天気」もタブレットを通じて。先生は確認しないといけない。シグナルを感じ取れというのは、先生が大変。見過ごすリスクに怯えるのではないか。傾向はそこでつかめても、個別の対応はそこから引き出せない。
・オンラインで伝えれることは、対面よりも低い。顔が見えない。コロナが収まり、人と会うこと、対話が戻ってきた。
・若者との間の大きなジェネレーションギャップがある。仕事でもチャットGPTを踏まえたやり方を検討しているところ。あっさりした、スマート、スリムに考えている若者が多い。
・チャットGPTとか、AIに置き換えられない人間の能力は何かというところから、逆に教育を考えようというアプローチ。1つは「身体性」で、もう1つは「関係性(コミュニケーション能力)」。加えて、「感情労働」。例えば、医者の鑑別診断はAIにできても、看護師のケア郎度はできない。どうAIに置き換えていくか。
・感情労働ではなく、あっさりした教師が多い。思考停止というよりも、効率重視の若い教師たち。
・目的にたどり着くまでの過程が実はとても大事。効率的に考えるとそうなるのかもしれないが、それでいいのかなと思うことが多い。
・子どもたちの側にいろんな道がある。自分で選ぶこと。覚えて終わりだと考える力を使わない。
・教育はいろいろあって、画一的ではない。難しいが。意味のある学びとなっているか。子どもたちに寄り添った教育になっているか。
・失敗したくない、目立ちたくない、埋もれたい等の欲求が強く、手をあげたりしない子どもたち。将来、何になりたいだけではなく、大金持ちになりたいとか。将来の夢を子どもってみな当然持っているのではないのかと思っていたが。そんな夢を言えない子がいる。働きたいとも思っていない。自己肯定感が低いと言うだけではまとめられない、小さなつまづきが大きすぎる。
・反貧困教育。自身たちが置かれている状況を知り、学び、自分を守るすべを身につける。法律上の知識も含め、社会で生きていくための知識を身に着けていく。実利的なものも必要ということか。
・株、貯金、年金、社会人になって初めて聞いている。社会で生きていくための知識、教科学習では入らない予備知識、社会人としtての常識も学校で身につけてほしい。
・なぜ、疑問、質問。アメリカに行った日本の留学生、質問できない。なんで、と小さいときから聞くことが少ない。探求心。
・昔は、なんで?なんで?と言う子どもたちからの声が大きかった。いま、なんで?と聞けない子どもたち。答えをすぐに与えられる。大人の顔色を見て、空気を読んでいる(目立ちたくない)。人の意見に乗る。新しい答えを言うのが怖くて、私もそう、と答える。
・子どもたち、はじけたらいいのに、はじけていると多動かな、グレーやね、と見る若い先生もいる。決めつけてみたらあかんと思う。
・子どもたちとのかかわりは、そぎ落とせないからしんどい。早めに手を打たないといけない。教員の現場では人と人との部分は避けられない。機械的な授業であればサテライトでいい。それが学校。減らすのは人ではない。私は、まずは単純に教員の数を増やせばいいと考える。
・教育はそうであってはいけないものなのに、クレーム対応(モンスターペアレンツ対応)を優先して仕組みをつくる。マニュアルをつくる。エクスキューズ先行、紛争可能対応型。そうすると、よけいに厳しくなる。
・ピア・メディエーション。学校の場合、子どもたちの間のトラブルや争いについて、先生ではなく、子どもたち自身が間に入って問題を解決する。けんかになっても、どうやって自分たちで仲直りするか(解決するか)等、自分たちの中で、紛争・トラブルを解決する能力の大切。一朝一夕では身につかないが。

最後に

話題提供のあった教育と学習にも絡めながらさまざまな話題が出てきました。それぞれの分野で、それぞれが悩み、考えておられることをいろいろと聞かせていただいてとても勉強になりました。制度、仕組みといった外枠だけではなく、その中にいて考えている、その人間たちの思い、寄り添う人間たちの思いをしっかり受け止めなければいけないということを改めて考えさせられました。

チャットGPTもしかり、ICTの活用、部活動の外部人材の活用など、さまざまな取り組みが模索されていますが、教員の多忙化解消という中での、果たして、教師の何が多忙なのか、何を解消しないといけないのか、何の負担を軽減しないといけないのか等々、しっかりと検証しなければいけないと、改めて思いました。

緩やかな対話であるからこそ、出てきたご意見等もあったと思います。ありがとうございました。

私は、次代を担う子どもたちがどんな世の中で生きているのか、子どもたちが中心となって生きている未来社会から見て、いま、何が求められているのか。どんな力をつけることが必要なのか、そういう視点で考えていかなくてはならないと考えています。今の子どもたちが、20年後、30年後に、どういう社会の中で、どういうことを求められて、どういう役割を果たさなければならないのか、そんなことを見通した中で、「教育」についても、「学習」=子どもたちの学びについても、展望を持って取り組んでいかなければいけないと思いました。

「みか’s cafe」、皆さんとともに少しずつ進んでいければと思いますが、参加者も増えればいいなと思っています。

次回の「みか’s cafe」は、新たなテーマを考えています。SNS等で案内させていただきますので、引き続き、よろしくお願いいたします。

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