家族を考える。地域でのお互いさまでの支え合い、公的な仕組みによる支援等、家族機能の維持にどのように対応することができるか。10月22日、「家族について」をテーマに「みか’s cafe」を開催しました。

2023/10/22

枚方市議会議員の奥野みかです。

10月22日、「みか’s cafe」を開催しました。6回目となります。

多様な皆さんがゆるやかに集まり、テーマを決めて、みか’s cafeで対話をする中で、それぞれの気付きや触発(インスパイア)につながればいいなと、それぞれが持ち帰って、お一人おひとりの活動の中で生かしていただくことができればいいなと思っています。そして、私自身も、対話の中でいただいた皆さんの声を自身の学び、そして取り組みににつなげていきたいと考えています。

今回も多くの学びや気付きがあったのではないでしょうか。集まってくださった皆さん、ありがとうございました。

 

今回のテーマは「家族について」でした。

社会全体のつながりが希薄化している中で、新型コロナの長期化によって、孤独・孤立の問題がより一層顕在化しています。
みか’s cafeでは、第3回で「孤独・孤立」の問題を取り上げ、その後、「あなたはひとりじゃない」「あなたのための相談場所がある」「あなたのための支援がある」と、第4回で「相談」、そして、第5回で「支援」を取り上げ、対話を重ねてきました。「相談」という営みは、さまざまな困りごとを抱えた相談者とともに、よりよい理解や解決策を見つけ出すためのよりよく生きるためのプロセスであり、そこから導かれたさまざまな「支援」が、多様なグラデーションに応じて相談者につながればと考えています。そして、「相談」「つなぎ」「支援」のいずれも、行政(パブリック)だけで完結できるものではなく、地域における包括的なつながりの拠点との連携が求められています。さらに、その中でも最も基本の単位である「家族」(共に生活する者)の支え合いを抜きに考えることはできないのではないかということもあって、今回は「家族について」をテーマに対話を行いました。

家族(family)は、広辞苑では「夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位」とあります。最も身近で基礎的なつながり、社会構成の基本単位ということですから、大切な役割や機能を持っていますし、それぞれ、思いや期待も異なります。「家族」をどう捉えるのか、どんなイメージを持っているのか等、それぞれが思いを語りましたが、本当に一人ひとりの「ちがい」が感じられました。

そして、家族の機能は、「家族により構成される世帯の生活維持や、家庭内における育児・教育等に関する機能」とうことになります。こういった家族機能や、その機能不全を、私たちはどのように理解し、対応すればよいのか。家族機能の維持や再生のために、社会は、地域は、一人ひとりは、どのように取り組んでいけばよいのか等についてもそれぞれが思いを語りました。家族機能を支援するためにどのような仕組みの構築をめざし、どのような家族政策につなげることができるのかということを考えながら、皆さんの意見を聞かせていただきました。

孤独・孤立の問題も、子ども・子育て支援も、高齢者等介護の問題も、ヤングケアラーの問題も、選択的夫婦別氏制度に関わる問題も、経済基盤の問題等も、大きなくくりで考えれば、家族政策、つまり、「家族機能を維持していくために、家族や家庭内の問題を未然に防いだり、あるいは解決したりすることを目的として、家計や生活面に対して、社会的に家族を支援する政策」につながっていると思います。保育であったり、介護であったり、家族でできない部分を社会が補っていく。しかし、外注というか、家族機能の社会化が、過度な民間依存になってしまうことには危惧もあります。

対話の中では、「血縁関係にしばられず全員で子育てや生活を支え合うという新たなコミュニティ」という、NHKで放送された「拡張家族」のお話もありましたが、家族だけですべてを担うというのではなく、地域の中での包括的な支援とか、核家族化や都市化によって失われつつある家族同士や近所同士の支え合い等、お互いさまでの支え合いがあればいいのかなとも思いました。他市での取り組み、枚方でこんなことをやってみたらという皆さんのアイデア等があれば、是非、聞かせていただきたいとお願いさせていただき、対話を終えました。

次回の「みか’s cafe」は、11月12日(日)9時30分~を予定しています。「みか’s cafe」、引き続き、よろしくお願いいたします(⁠◠⁠‿⁠・⁠)⁠—⁠☆

 

 

 


(※以下のような「対話」を重ねました。)

【家族について思うこと、家族のイメージについて】

・いろんなご家庭があるが、家庭が崩壊しつつある。本来、「核家族」は人間性には合わない、家庭のベースではないのではないか。
・負の連鎖がある中から脱出する(できる)子どもがどれだけいるか。
・家族のつながりも重要であるが、大切な家族の「喪失」とどう向き合っていくか。家族を失ったとき、どう乗り越えるのかが自分にとっての関心事であった。
・家族はともに生活する集合体、共同体である。血のつながりというよりも、ともに過ごせる同士、仲間というのが家族ではないか。多様な家族がいると思う。
・家族は、愛憎うずまくもの。愛と憎しみ。虐待を受けるのも、踏み外した道からの立ち直りを支援してくれたのも親。憎しみもあったが、感謝・尊敬の念もある。
・親友と同じ距離感。損得なしに自分を助けてくれる存在は同じ、そこに血縁がプラスされている程度か。
・自分が育ってきた家族と自分が作った家族は全く異なる。気を遣わず発言することができる家庭、相手を尊重して自制しながら会話する家庭。
・家族は同じ家に住み、生活をともにする配偶者、血縁。
・自分の親を尊敬できるようになったのは子育てしてからである。価値観の違いはあたりまえ、と思えるようになった。
・あなたの子どもであってもあなたの所有物ではないので、他の人に言わないようなことを子どもに言うのはやめてほしいと思う。親しき中にも礼儀あり。子どもに気を遣わないといけないのかという親もいる。
・家族は、「たからもの」「かけがえのない存在」「尊敬できる人たち」「自慢できる人たち」である。自分にとって趣味は「家族」である。みんなが喜ぶことをしている自分が好き。大人になり、きょうだいが結婚して家族ができ、またその子どもができ、またその孫ができという関係にわくわくしている。
・親のきょうだいの中に子どもにとってのサードプレイスがある。そんな親戚関係も意義がある。
・家族の中の価値観の違いとどう向き合うか。かけがいのない存在だが、家族がそう思っているかはわからない。家族には「責任」が伴うのか。
・家族といるときの充実感や家庭生活の満足度(日本を含めた7か国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査)が、日本は67.3%と、他国と比べて相対的に低い。欧米は8割超。個人主義が確立されているから、不快に感じるということがないのかもしれない。

特集】今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~
家族といるときの充実感や家庭生活の満足度は、日本は相対的に低くなっている。

【家族の機能について、家族機能の不全について

・家族の崩壊とまでは言えないかもしれないが、さまざまな家族機能の不全が顕在化。生活維持とか、家庭内における教育とか、子育て等、さまざまな機能不全が進んできている。
・生活が維持できないからという「生活保護」の制度。その後も保育所ができる、留守家庭児童会室ができる。20世紀の最後は介護の問題で介護保険制度ができる。そして、DV、孤独・孤立の問題。すべて、「家族機能」に関する問題で、行政のシステムによる家族機能の補完が行われてきた。
・若い人たちにいま親ガチャという問題。結局、どんな親に当たるかわからない。運不運のようなもの。児童虐待でも、ネグレクト、身体的虐待のみならず。教育的虐待、勉強しろという締め付けに反応して親を殺してしまうというような事件も起こっている。
・根本的なところで、世帯人数がすごく減ってきている。1950年代は5.0人であったのが、2022年は2.25人。どんどん世帯人数が減ってきている。高齢者の2人世帯のいずれかが亡くなって1人世帯となる。高齢者のひとり暮らしが増加。

・高齢者の孤独孤立の問題。子どもの家庭の複雑さに驚く。
・愛の反対は無関心。無関心になってしまうと、家庭の中では無理。児童相談所などの機能(介入等)を強くしてもらわなければいけない。
・親や家庭は選べない。負の連鎖にならないよう、どの家に生まれても、誰か支えになってくれる人がいれば育っていけるという仕組みがあればと思う。
・家族以外との出会い。親からすれば自立する。子どもからすれば、親以外の大人との出会い。そういう他者を見つけることができれば。
・「親ガチャ」ということばがある。親からしても「子どもガチャ」と言えるのではないか。こんな子どもを産みたかった、こんな子どもを育てたかったとか、親の方も思うのではないか。
・どこまで親が子どもの面倒をみるのか。18歳で成人。家族の責任がそこまで重いものか。一人暮らしで、例えば生活保護、という選択肢もある。
・逆に、子どもは親の面倒をどこまでみるべきか。今後は在宅介護。住み慣れた地域で支えるという話が出てくる。しかし、少ない家族の人数で支えられるのか。
・介護保険制度など、公的に支える仕組みはずいぶんと拡充されたが、75歳以上の高齢者の絶対量が増えると支えられない。第三者的なかかわりがないと支えられない。子どもが面倒を見ないといけないと言われても難しい。
・親の介護が必要な時期、子どもは子育て期で、自分のことで精一杯。お金で解決できる話であれば、ある意味、簡単であるが、仕組みがない。どんどんひきこもりおばあちゃん化、おじいちゃん化する。まわりが受け止められない。高齢者が社会で輝く場がない。そういった活動の場、活躍の場、輝ける場を準備することが必要である。

【家族機能が不全になっている家族に対する支援、家族政策について】

・家族機能が機能不全になっている。そこをてこ入れしないといけない。政治の世界では最も大切なテーマ。家族や家庭に関する問題に対して、国や地方自治体が行う公共政策が家族政策。
・未然に防ぐという視点。ドメスティックバイオレンス、児童虐待、高齢者等介護の問題等、すべて家族に関する問題で、家族政策としては仕組みづくり。
・ベースとなる考え方の違いもある。戦前の家制度。親学。儒教的な思想。そんな思想を教育の中で行うのがいいのだという考え。
・「拡張家族」、シェアハウス。血縁とかにかかわらず一緒に住む。もともと配偶者には血縁はない。延長線上に同性婚の話もある。「血縁関係にしばられず全員で子育てや生活を支え合うという新たなコミュニティ」→NHKで放送された「拡張家族」

・行政は縦割り。子ども、高齢者、障がい者…。そんなに分けて作っていいのか。子ども食堂は子どもだけでいいのか。施策を縦割りにする必要はないのではないか。
・元気なお年寄りに「活躍」していただく。活躍してもらえる場所の提供。縦割りをやめて混ざり合う。意識改革が必要。
・完全ボランティアでは限界がある。行政としての底支えが必要。
・現在の家族政策といっても、家族の中の機能を何か支えるというような入り方はしていない。例えば、子どもの保育。児童福祉法では、保育に欠ける子の受け皿。留守家庭児童会室も、もともと鍵っ子政策で、保育に欠ける子の受け皿で、放課後、安全に過ごせる場所のない子を行政が受け止める政策をやっているもの。家族の中に入って支えるというものではない。保育ママという事業もあるが、「家族を支える」というわけではない。地域で受け止めているというものでもない。
・行政側としては、民と民との関係の中に入り込むのは怖い。「お互いさま」から「(パブリックの)提供サービス」になってしまう。行政としてはリスクを感じてしまう。
・「じゅんさんち」→空き家活用で、保育園児と地域の高齢者が交流。
・実際の園児と高齢者の交流現場では、園児の認識とのギャップがあり、結構難しい。園児たちのおばあちゃんは、「ザ・若いおばあちゃん」で、施設の高齢者は介護4、5とか、車椅子の方とかといった、園児にとっては見たこともない「高齢者」で、固まって声も出ない。おばあちゃんたちもどうしたらいいかわからないという状況。
・今の子どもたち、保育所、その後、小学校に行っても留守家庭児童会室で育つ。お買い物一つにしても、地域のリアルを知らない子どもたち。現実を知らずに、作られたおまつりへの参加等、それが、コロナ禍もあり、リアルなことがすべてバーチャルな体験化してしまったように思う。作られた世界での体験のみ。ネット上でのコミュニケーションが増えて、実際の交流では戸惑う。
・もっとも、ネットがあるから知ることができる世界はあると思う。機能不全とか、ネットとリアルの壁があるということか。
・家族機能として期待するものはそれぞれ違う。行政の仕組みの中で変えることができるか。意識を変えること。
・家族機能の社会化は必要だが、民間ベースになることへの危惧。地域が拡張家族の働きを担っていけるような仕組みも考えていく必要があるのではないか。

 


◇これまでの「みか’s cafe」

 

 

 

 

 

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